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zoom RSS 毛皮+肉+死+命=? 

<<   作成日時 : 2011/12/06 17:03   >>

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わたしも、高校生のころ毛皮問題に直面し、ショックを受けた経験がある。
それからだいぶ時間がたち、はやくも7年ほどになろうか。
そのころと比べ、いろいろな経験も積んだし、考えもすこし変わった。
ひさしぶりに、毛皮について考えてみた。



まず、最初に言っておくべきことは、

昔から、毛皮は肉とともに、ちゃんと利用されていた。
寒い地方では、毛皮は必要不可欠なものだし、
今なんかよりずっと、毛皮を大事にしていた。

だから、毛皮の使用そのものを批判するつもりはない。



そもそも動物と人間とのかかわりは、長い歴史を持つ。

狩りは、もともとそんな生やさしいものじゃなかった。
だからこそ、毛皮も肉も、貴重だった。
だから、大事に使った。

そのうち鉄砲が出てきて、毛皮の利用が増え、野生動物の数は激減した。
これは、『もののけ姫』で言われている話でもある。

そして今では、肉は効率的に“生産”されるようになった。
スーパーに並ぶ肉は、単なる商品でしかなく、家畜の死に思いをめぐらすことは無い。
我々が考えるのは「一グラム何円?どこ産?」くらいのものだ。



それは“悪い”ことなのだろうか?
悪い、ということはたやすい。
しかし、皆がそれを望んだからこそ、今の状況がある。

毎日肉を食っているくせに、血を見るのが嫌だと平気で言える、この矛盾は、皆が望んだことなのである。

ただ我々が出来ることは「頂きます、ご馳走様でした」とちゃんと言うくらいしかない。

(しかし、できるなら、皆が一生に一回だけで良いから、鶏を殺してさばいて食う、ということをやってみるべきだ。
そうしたら、自分の罪深さに気づくかもしれないし、自分で殺した肉の信じられないほどの美味しさにも、気づくかもしれない。)



毛皮も、肉も、
それを使うことが絶対的に悪いのではなく、
それにともなう生・死が完全に無視されていることに問題がある。
そして、単純に“商品”というだけの意味しか持てなくなっている。
これが異常なのである。



そもそも
「一枚の布に、いったいどれほどの命が失われているか?」
と言ったら、養蚕など、最大の悪行かもしれない。

そもそも、私がいま織っている絹織物は、
カイコ数千匹を殺して作ったものだ。
養蚕業などアウシュビッツ収容所に匹敵する、生命の尊厳を汚す、悪魔的な悪行じゃないか!と言われても、何も言えないわけである。
ただ言えるのは、人間はおおむね、虫の死にはあまり同情しない、という事実だけである。



自分にとって大事な命は、死んだら悲しいが、
どうでもいい命は、死んでも無関心でいられる。
人間とは、こうも自己中心的なのである。



じゃあ、人間が“悪”なのか?

いや、
自己中心的なのは、人間だけではない。
鹿やいのししだって、自己中心的に生きている。
ヤギが植物を食い尽くして禿山にしてしまうことが普通にある。
生命とは、そもそも本質が自己中心的なのである。



しかし、人間はあまりに増えすぎたために、そうも言ってはいられなくなってきた。
西洋的に、自然を人の手で作り変えていくのか、
あるいは東洋的に自然と融合していくのか、
どんな形にしろ「どうにかしなくては」という気持ちは誰もが持っている。

その壮大なテーマに、なかなか明確な答えは出ない。

しかしわたしは、その答えとして、
「各々が一から生活を作りなおしていくキッカケ」を作れたらいいと思っている。
常識的な生活とはちがった、よりよい生活のカタチ。

社会構造の変化が著しい今だからこそ、
そんなものができたらいいな、と。

最後まで読んでくださってありがとう。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
自分の子孫の繁栄について、みんなが真剣に極めて自己中に考えたら、
持続可能な仕組みが見えてくるかも、と考える時あります。

命を奪って生きる生物としての性はどうしようもないし、変えようともおもわないけれど、たとえば家畜たちの生きている間のストレスはなるべく減らしてあげたいと思う。それはもちろん彼らのため、、、
ではなく、そっちのが美味しいから。蚕なら、そっちのが糸が良いから。ですね。



ヤマダ
2011/12/16 21:03
>ヤマダさま
人が完全に自己中じゃなく思いやりを持っていられるのは、自分に余裕があり切羽詰まっていないから。だとすると、極めて自己中に考えるというのは、背水の陣で挑む心構えと似ているかもしれません。現在、持続可能なシステムがなかなか実現しないのは、まだ余裕があるからです。本当に後が無くなったら、その時は持続可能社会を本気で考えるでしょうね。
パンタン
2011/12/29 23:05
機織り初心者です。羊毛、麻、木綿を一通り見てきました。地機も経験しました。ブログを大変参考にさせていただきました。今、どこか別のところでブログをなさっていますか?
夢子
2014/01/27 09:27

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